みなさんはどれくらい運指を考えているでしょうか?
難しいパッセージでは当然弾けるようになるために運指を考えると思いますが単純な旋律や単音で運指を考えたことがありますか?もしくは曲の譜読みが終わり作品を音楽的に仕上げていく段階で運指を考えたりしますか?
『いろは』の第5回は真に音楽的な運指とピアノ演奏での運指の重要性について解説します。
1.五本の指にはそれぞれ個性と役割がある
人間には長さと太さの異なる5種類の指があります。親指は太く短い、小指は細く短い、中指は太く長いといったように長さと質量の異なる指をピアノ演奏では均質に使わなくてはいけません。先生に『ムラにならないように気を付けて』と言われたことはありませんか?このムラの原因はまさしくこの指の不均等さがもたらすものなのです。しかしこの指の不均等こそが音楽的な運指のカギになってきます。
それでは最初に各指の特徴と主な役割を見ていきましょう
・親指
特徴:最も太く短い指です。この指だけ他の指とは完全に独立して大きな筋肉を備えていてとても強い、しかし反面小回りが利かなく不器用。
役割:和音やオクターブ演奏の場合の大黒柱。豊かで充実した音を出す際に欠かせない指。細かく軽いパッセージでの連続使用は避けた方が無難。左手では特に内声の旋律を担当することが多い。しかし右手の場合メロディーに使うことは限定的。
・人差し指
特徴:薬指と同程度の長さと太さの指です。しかし薬指と違い腱や筋肉がほぼ独立しているので大変器用でそこそこの強さがある。
役割:トリル等の細かく速いパッセージで使われることが多い。左手では親指と共に内声の旋律を担当する重要な指。右手では繊細なメロディーを演奏する場合使うことが多い。軽く芯のある音を出すのが得意な指。
・中指
特徴:人の指で最も長く親指の次に太い指です。高水準な強さと器用さを備えた指。
役割:すべてをこなす万能な指。速いパッセージにも太い音色で単音を出したいときにも使うことができる。
・薬指
特徴:人差し指と同程度の長さと太さの指です。人差し指に比べ腱や筋肉が両隣と密接にくっついているので最も弱く不器用。初心者が意識的に動かすのに最も苦労する指。
役割:黒鍵でのオクターブ演奏に使用される指。細かいパッセージでも使う場面が多い。繊細な音色を作り出すのが最も容易にできる指。右手でPPでレガートの旋律を演奏する際はこの指の使い方が肝になってくる。
・小指
特徴:最も細く親指の次に短い指です。そこそこ大きな筋肉を備えており指は細いがそこそこの強さがあるが薬指とのつながりが強く器用さは中指や人差し指より劣る。
役割:左手はバス音を右手は旋律を担当することが多い指。細かいパッセージでの使用は意外と少ない。メロディーをニュアンスに富んだ演奏にするにはこの指の使い方が重要。太い音が欲しい時には薬指と同時に使うことが多い。
以上のように各指には適材適所があります。力強いメロディーで薬指や人差し指を使ったり、繊細でピアニッシモな旋律で親指を使うことは演奏をより困難にしてしまいます。そして手の形や指の太さ、長さは人によって違います。皆さんがまず自分の各5本の指がどういう音を出せるのかを知ることが大事になります。そのうえで運指を考えてみましょう。
2.弾きやすい運指が音楽的に正解とは限らない
上はモーツァルトのピアノソナタ第13番KV333の冒頭部分の譜面です。
この右手の冒頭部分で運指を考えてみましょう。
フレーズを考えずに弾き易さを重視して運指を考えると左の運指みたいになると思います。
それでは次にこの部分のフレーズを見てください。最初のソファミレとドシが別々のスラーで括られています。
左に提案した運指だと弾き易くはあるのですが運指のスムーズさがかえって障害になってしまいこのフレーズを表現するのが非常に難しくなってしまいます。
右は筆者の提案する運指です。
わざとフレーズの切れ目でポジションの移動をすることによってドシシのニュアンスを的確にそして楽に表現することが出来るようになります。ポジションの移動が発生することによりミスのリスクは最初の運指に比べ高まりますが音楽的な表現を重視するならばこちらの運指に分があります。
左はショパンの有名なノクターン第2番のショパン自身による運指です。5554というなかなかに衝撃的な運指が書かれています。普通に考えたらありえない運指です。しかしここでショパンはあえてこの弾きづらい運指にすることで一音一音をしっかりと重さを乗せてノンレガートで弾くことを要求しています。この演奏効果は弾き易さ重視の普通の運指では絶対に得られません。
右はショパンのワルツ第7番のエキエル版による運指です。この部分はこの曲で最も困難な箇所でこの弾き難い音型をレガートで軽く弾かなくてはいけません。
エキエル版の運指(2種類とも)はいたってオーソドックスですが自分はこの運指ではレガートでさらに軽く欲しい音色で演奏することができませんでした。
左は同個所のコルトーによる運指です。
この運指では一般的にはタブーとされる直前の白鍵に小指から黒鍵に親指をポジション移動でぶん投げる(文字通りぶん投げるように手を運ぶ)方法をとっています。普通に考えたら絶対弾き難い運指なのにこの曲のこの箇所ではこれ以外方法が無いと思える程曲の流れや絶対的な軽さが得ることが出来ます。
このように弾き易い運指が音楽的に不都合なケースが少なからず存在していることが理解していただけたでしょうか?実際に自分が教えている場面でも非音楽的な運指で弾いているせいで思うように演奏できない生徒をよく見かけます。もしいくら練習しても自分の納得いく演奏が出来ない場合は運指を見直すことで簡単に解決する場合があるので色々試してみてください。
3.有名演奏家や作曲家の運指は演奏の大きな指針となる
これは楽譜選びに直結した話にもなるのですが作曲家自身が優れた演奏家である場合は特に提示された運指は非常に価値ある演奏解釈の指針になります。
それは現役の一流ピアニスト、過去の大ピアニストの運指も同様です。特にピアニストの運指には自身の長い研究や師匠から脈々と受け継がれた伝統など音楽的表現を巧みに引き出す為の叡智が多く含まれています。なかには自分では到底思いつかない目から鱗が落ちるほどの優れた両手の振り分けや指使いもあります。
これらピアニストによる運指提案は楽譜の一つの売りになっておりこれの為だけに楽譜を買うほどの価値があるほどです。
下はピアニスト達による優れた運指の例。
譜例1
ヘンレ版 マレイ・ペライアによるベートーベンのピアノ・ソナタ第17番『テンペスト』第3楽章の一部。
本来は片手のソロ部分だが左手をスフォルツァンド部分に左手を使うことにより効果的にスフォルツァンドを表現できるようになっています。
譜例2
音楽之友社版 安川加壽子によるドビュッシーの前奏曲第1巻から『ミンストレル』の冒頭部分。
こちらも左右の手の分配に工夫が見られます。この冒頭部分は片手だと意外と弾き難いのですが左手を使うことでコミカルさを殺すことなくこのパッセージを容易に弾けるようになっています。
譜例3
ウィーン原典版 パウル・パドゥラ・スコダによるシューベルトの『さすらい人幻想曲』の終楽章の一部。
ここでは52小節目の左手の運指に1と2の指の連続使用が提案されています。この同一指の連続使用によりこの箇所の左手は軽快さと均質な音色が得ることができるようになっています。
譜例4
サラベール版 アルフレッド・コルトーによるショパンの『ノクターン第5番』の後半の一部。
右手の半音階進行での運指。ショパン的な軽く繊細な音を出すための運指。理想的な音色確保の為に3の指の使用が徹底的に避けられている。
譜例5
音楽之友社版 ヴラド・ペルルミュテールによるラヴェル『高雅で感傷的なワルツ』の一部。
ここでは低音部譜表の♮Fの音を右手でその後の高音部譜表のオクターブを左手で取る指示がなされている。
この分配によりアクセント音に右手の好きな指を使えるので音色の選択肢が増えている。
いかがでしたでしょうか?
このように優れた演奏は優れた運指なしでは実現できません。
今一度みなさんも自身の運指見直してみませんか?
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