【ピアノ演奏温故知新】第17回ジョセフ・レヴィーン
- 西野 智也
- 2020年11月30日
- 読了時間: 4分
更新日:2021年8月24日
【ピアノ演奏温故知新】では過去の偉大なるピアニストとその奇跡的なピアノ演奏を数多くご紹介していきます。
第17回は20世紀前半に活躍しゴドフスキーやホフマン、ローゼンタール、ラフマニノフと並び完全無欠のテクニックを誇った『ジョセフ・レヴィーン』をご紹介します。
ジョセフ・レヴィーン(1874~1944)

略歴
1874年モスクワ近郊のオレルに生まれる。地元のピアノ教師ニルス・クリサンダーに5年間レッスンを受ける。
1885年モスクワ音楽院のヴァシリー・サフォーノフのクラスで学ぶ。同期生にスクリャービンとラフマニノフもサフォーノフのクラスに在籍していた。
1889年アントン・ルビンシテイン指揮のもとベートーヴェンを弾きデビューする。
1892年モスクワ音楽院を大金メダル(首席)を獲得し卒業。
1895年アントン・ルビンシテインコンクールで優勝。世界的なキャリアが始まる。
1898年同窓生で同じく大金メダルを獲得し卒業したロジーナ・ベッシ―と結婚。
1900年から6年間モスクワとトビリシで教授を務める。
1907年ロシア革命の兆候からベルリンに夫妻で移る。
第1次世界大戦が勃発するとレヴィーン夫妻は敵性外国人としてベルリンで幽閉される。
1917年ロシア革命が起こりロシアの銀行に預けていた財産を失い、さらに戦時中で演奏活動が行えなく生活に困窮する。
1919年アメリカ、ニューヨークに移住。
1924年夫婦でジュリアード音楽院で指導にあたるようになる。
1933年アメリカの市民権を獲得。
1944年心臓発作によりニューヨークで亡くなる。(享年70歳)
レヴィーンの凄さを物語る代表的録音
シュルツ=エヴラー:シュトラウスの『美しき青きドナウ』によるコンサート・アラベスク
演奏スタイル
レヴィーンの演奏は史上最高クラスの完成度といえます。それは技術的なことだけでなくその貴族的で格調高い音楽性と素晴らしい品の良さによりあらゆる作品で高水準の演奏を聴くことが出来ます。非常に情熱と冷静さのバランスが良く、技術的な苦労は微塵も感じさせず難曲を難曲として聴かせないピアニズムは、時に狂おしい程に情熱的なホフマンや常に冷静沈着なラフマニノフの演奏とは一線を画し、より凄みを感じます。
レパートリーは非常に広かったようであるがレヴィーン自身が録音に積極的でなかったこと。すでに大手レコード会社にはコルトーやバックハウス、ホフマン、ゴドフスキー、ラフマニノフといった専属のピアニストがいたのも災いして録音はCD1枚分程の録音と夫婦でのデュオが少々しか遺されてないのは非常に残念である。
リヒテルやヴァン・クライバーンが驚愕した練習曲
ショパン:練習曲よりOp.10-11,Op.25-6,Op.25-10,Op.25-11
同時代の人物による評価
ハロルド・ショーンバーグ(評論家)
『彼の音は明け方の星のかがやきのようであ、そのテクニックは完璧で、ヨーゼフ・ホフマンやラフマニノフにも匹敵し、同時に豊かな音楽性もそなえている。彼は現代のロマン派と言えるピアニストのひとりで、内容を伝えるために音楽を分解したりはしなかった。ショパンの3度のための練習曲やロ短調のオクターブのための練習曲を弾く場合でも、彼は音楽で離れ業をしようとはしなかった。』
アイブラム・チェイシンズ(作曲家)
『ショパンの3度の練習曲におけるレヴィーンの繊細さと、重音の完璧さ、オクターブの練習曲の鮮烈な演奏に魅了されない人間を、私は信用しない。』
1928年ロンドンでのリサイタルにおける『Times』紙の批評
『すべての偉大なピアニストと同様に、彼は非常に個性的なスタイルを持っていますが、作曲家の忠実な音楽の表現を決して歪めたりしません。彼のスタイルの特筆すべき点は、ダンパーペダルの使用における無駄のなさです。彼の指は、思慮深く、軽く、力があふれ、そして途切れることのない俊敏さを組み合わせた、にわかには信じられないほどの奇跡です。彼の解釈は詩的ですが、知性よりも感性に基づいています。』
レヴィーンの格言
タッチの極意について
『腕が完全に空中に浮いてるように、完全に力を抜いて、絶対に固くせずに、どの音を出すときも、鍵盤を底まで押し下げ、指を常に鍵盤の表面から離さないようにすること。』
レヴィーンの詩情あふれるシューマン
シューマン=リスト:春の夜
関連商品紹介
・レヴィーンの数少ない正規録音 夫婦のデュオも入ってこれで全部です。
・ピアノ奏法の基礎 レヴィーンが記したピアノ奏法の金言
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