top of page
執筆者の写真西野 智也

【ピアノ演奏温故知新】第18回ヴラディーミル・ド・パハマン

更新日:2021年8月24日

【ピアノ演奏温故知新】では過去の偉大なるピアニストとその奇跡的なピアノ演奏を数多くご紹介していきます。

第18回はショパン存命中に生まれクラシック音楽の歴史を生で見てきた19世紀の様式を体現したピアニスト『ヴラディーミル・ド・パハマン』をご紹介します。



ヴラディーミル・ド・パハマン(1848~1933)

パハマン
 

略歴

1848年ウクライナのオデッサに生まれる。優れた音楽愛好家であった父はベートーヴェンやウェーバーと交流があった。

1858年にピアノに興味を持ち独学で学び始めた。

1867年ウィーン音楽院でチェルニーの高弟ヨーゼフ・ダッハにピアノをアントン・ブルックナーに音楽理論を習う。

1869年に帰国演奏会を行う。

1870年リストの弟子筆頭であるカール・タウジヒの演奏に圧倒され、この年から8年間、技術鍛錬と音楽思想の勉強のため演奏活動を引退する。

1878年ライプツィヒやベルリンでリサイタルを行うも満足いかず、さらに2年間世間から離れた。この期間中にショパンの最後の弟子ヴェラ・コログリヴォフ・ルビオに学びと助言をもらう。

1882年にピアニストとして復帰。

1884年ピアニストのマギー・オーキーと結婚。しかし10年後離婚する。

1889年アメリカデビュー。

1907年グラモフォンの草創期からSP録音でレコーディングを始める。レコード録音をいち早く始めた有名ピアニストであった。

1928年イタリア国民になる。

1933年前立腺がんにより亡くなる。(享年85歳)

 

リラックスしたパハマンの美しい演奏

ショパン:ノクターン Op.72-1

(使用ピアノはボールドウィン)

 

演奏スタイル

パハマンの演奏スタイルは19世紀の演奏様式を知る歴史的証言として非常に重要なものとなります。パハマンの演奏はその自由な解釈やルバート、さらには有名な前口上に目を奪われがちですが、その真価はその美しく珠の様な音にこそあります。とてつもないタッチコントロールから生み出される音色はまさに変幻自在。どんな作品でも重くなることは決してなく巧みなルバートと合わさると夢心地の響きになります。

レパートリーは伝承によるとショパンの全作品とリストを中心にかなり広かったようです。しかしレコード会社からの要望で録音は小品ばかりで大曲と呼べるような作品は残念ながら一つも遺っていません。しかしながらいち早くレコード録音を積極的に行ったおかげでショパン存命中に生まれたピアニストの録音がそれなりの量を聴けるのは大変ありがたいことで一連の録音は歴史的価値があると言っても過言ではありません。

 

パハマンの真珠のような美音が冴える名演

リスト:華麗なるマズルカ

 

同時代の人物による評価

レオポルド・ゴドフスキー(作曲家、ピアニスト)

『彼の演奏は、繊細で優雅に匂う香水のようであり、蒸発する揮発性の上品な、そそるような魅惑的なものだ。そして彼の芸術は、すべての法則、すべての慣習、すべての音楽理論に反している。これは私が今まで出会った中で最も個性的な芸術表現だ。』


カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ(作曲家)

『彼の音のグラデーションはメゾフォルテから信じられないほど極限の弱音にまでおよびます。「真珠のような音」と言われる彼の可憐なるスタッカートの驚くべき流動性と透明感。素晴らしいカンタービレ、 絶妙なフレージングと音楽全体の素晴らしく繊細な幻想性…ショパンの特定の作品の演奏は、魅惑と喜びをもたらしました。』


ジョージ・コープランド(ピアニスト)

『パハマンの音色を喩えるなら…真珠のネックレスを想像してみてください…今、私はネックレスのひもを切って、真珠がパラパラと散らばっています。』


パハマンの格言

運指について

『すべてのことを自己独自の方法でやってみようと試みた。新しい指使いを工夫し、発見することを何か月もかかって努力した。それは弾き易くするためにではなく、私にとってのその楽想を表現するための音色のためである。』

 

パハマンのお気に入りの一曲

ラフ:糸を紡ぐ少女

 

関連商品紹介

パハマンのショパン 珠玉のショパン

晩年のパハマン 説明不要のパハマン節、弾きながら喋るのはパハマンだけ

閲覧数:391回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Yorumlar


bottom of page